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第二章 

7話)雅と話


 ・・・次の日からは、付き合っていることにした優斗と、休み時間は当然のことで、一緒に二人で帰る生活が始まった。
 噂が一瞬で広まったのは、当然のことだろう。
 そして、とうとう小林雅本人にも伝わったらしい。偶然一人でトイレに入って出てきた瞬間に待ち伏せされていて、
「ちょっといいかな?」
 と、控えめな笑顔を浮かべてきたのだ。
 できるだけ芽生に迷惑をかけないように、心を配っていてくていた優斗だったが四六時中、見張る事は不可能に近い。
 友達もそばにいない、絶好の機会を与えてしまったのは、単に芽生の過失にあった。
 というか、違うクラスとはいえ、小林雅の事くらい芽生は知っていたから、優斗が言うほどに、警戒心を抱かなかったのだ。
 小林雅は、芽生とは違ったタイプの美少女だった。
 小学校の頃から、体格も小さく、西洋人形のように愛らしい彼女の、控えめな雰囲気は、男子はともかく、女子の間の中でもマスコット的人気のある女の子だった。
 子供の頃は公園で、一緒に遊んだことだってあった。
 彼女を目前にして、やっぱり雅の事を『ストーカー』呼ばわりする優斗の方が、おかしいように感じたくらいだった。
 だから、雅が一人で、控えめな笑みを浮かべて芽生に話かけてきた時、優斗に相談もせずに
「いいよ。」
 と軽く返事して、彼女の後に付いていってしまったのだった。
 何故、彼女の話を聞こうと思ったのか。
 そもそも芽生は、微妙な男女の関係に、首を突っ込む義理すらないはずだった。
 あくまで彼の行動にまかせていればよかったのに、直接彼女と話す道を選ぶ短慮を犯してしまった芽生は、ほどなくして、その事をひどく後悔するはめになる・・・。
「優斗の事なんだけど・・。困った人でしょ。ごめんなさいね。」
 突然、雅の方から謝られて首をかしげてしまった。
 使われていなくて、潰される運命にある校舎の裏手は、二人っきりになれる場所としては、とても適っていた。
 生徒達の声や、影すらかかってこない。
 ひっそりと静まりかえった中で、ポツリと言われた内容は、とっさに芽生の理解の超えたものだった。
「え?」
 と答える芽生に、雅は自分で自分をうっとりするかの様に、空を見上げた。そして、芽生を上から下まで見下げて、優越感のこもった瞳を向けてくる。
「あっという間に、あなたに飽きると思うから・・・傷つかないように、と思って・・。」
「いろんなタイプの女の子を知ってみたいんだって。・・彼って、小学中学時代は、“香徳大付属”って知ってる?
 名門なんだけれど、あそこは男子校でしょ?女の子の事、ほとんど知らずに過ごしてきたみたいなのよ。」
 事情があって、こんな学校に入学してきたのだけど、いずれは香徳に戻ってゆく人なの。
「女を味わったら、すぐに別れを切り出してくるだろうから、それまでは夢を見ていればいいんだけど、辛いじゃない。
 始めに忠告を受けてれば、立ち直るのも早いと思って・・。芽生なら、可愛いからすぐにも次ができるわ。」
(女を味わったらって・・。)
 妙にリアルな表現だ。戸惑う芽生の姿をジロジロ見つめてから、彼女自身、何かハッとしたかのように息をのんだ。
「そういえば、あなた。処女じゃないじゃない。もう彼に、捧げる物がないんだから、今のうちから辞退した方が、懸命よ。」
 彼、処女じゃないと受け入れないから・・。
「・・・。」
 まくし立ててくる内容がまともじゃない。
 芽生の知っている雅は、こんな感じじゃなかった。
 無邪気な、いつも笑みを浮かべて、芽生達の後を付いて来るような子だったのに・・・。
 運動神経が、悪かったから、鬼ごっこすれば、いつも“鬼役”だった。
 泣きべそをかいては、途中で誰かが“代役”をかって出るはめになるくらいで・・・。
 何が彼女を、こんな風に変えてしまったのだろう・・。
「み・・や、び・・。」
 言葉も出ない芽生に、彼女の視線は次第に据わった物にかわってゆく。
「あなた、まさか、すでに汚れた体で、彼に触れるつもりなの?」
 そんな言葉に、返事さえできずにいた芽生の顔を、ジッと見つめた雅は、自分の言葉に否定的な態度をとったと思ったらしい。
 憤怒の感情を隠しもせずに、顔を真っ赤にさせて、雅は手を振り上げた。
 次の瞬間、顔の左側に、ものすごい衝撃が走る。
 クラッとなって、尻もちをついた芽生の肩に足を置いてくる。
「許さないから、そんな汚い体で、私の優斗に触るなんて!」
 言って同時に蹴りつけられた。
 雅は、容赦しなかったらしい。背中に衝撃が走った。
「いったぁー。」
 肺を打って、一瞬息が止まった。痛くて涙が出てくる。
 雅は芽生の様子を確認すらせずに、その場を立ち去ってゆく足音だけが聞こえてきた。
 それにホッと安心したほど・・。
 彼女の言動は異常だった。
(なぜ、私が処女じゃないって、思ったの?)
 とっくに翔太と初体験を、済ませているとでも思っていたのだろうか。
 そういえば、中学時代は、彼とはいつも一緒にいたし、翔太と、芽生が付きあっていない。なんて、周囲にわざわざ言い訳もしなかった。
 だから、二人はそうゆう関係になっているとでも、思われているのかも知れなかった。
 青空を見上げて思った事は、そんな事だった。
 しばらくぼんやり空を見上げてから、ゆっくり起き上がり、体のアチコチに激痛が走るのを顔をしかめ、そこで初めて優斗がわざわざ芽生に、頼みごとをする事になった訳が実感できた。
 『付き合う』と宣言してから、なるたけ優斗が芽生から離れないように、側にいたもう一つの理由を、今更ながらに実感できた。
 芽生は、単に“付き合うことになった”と周囲に知らせたいために、側にいると、思っていたのだ。
 彼からは、『雅自身には、気をつけてね。』と、言われていたではないか。
『彼女に話かけられる事があったら、すぐにも僕に言ってくれればいいから。』と、その時になった時の注意まで受けていた。
 真面目に聞かなかったのは芽生の方だった。
 優斗の言った事の方が、正しかったのだ。
(私ってバカッ。優斗君の話をきちんと耳にいれておくべきだったのに・・。)
 痛む体をさすりながら、とりあえずはトイレに入る。
 鏡に自分の顔を映してみると、見て分かるくらいに手の後がハッキリついていた。さらにガックリ肩を落とす。
 このままでは教室には戻れないと思った。
 手の跡は、さすがに格好が悪くて、ゴシゴシさすって、さらに腫れる結果になってしまったが、仕方がない。
 保健室に入って、先生にはつまずいて転んだと訴え、傷の治療をしてもらうのだった。